私たちは自然の法則に完全に支配されている。
その法則から誰も逃れることはできない。
だから、理にかなわない願望が実現されることはない。
新型コロナウイルスが生き残る戦略はたった一つだけです。
誰かが誰かへ感染させるのをじっと待つことだけ。
だから原理的には、地球上のあらゆるところで、一定の期間、人が人へ接触するのをやめれば人類の勝ちです。
たとえそれができなくても、新型コロナの感染の広がりをコントロールすることは可能です。
人と人との接触が頻繁に起こるほど、ウイルス感染は広がり、人と人の接触が押さえられるほど、ウイルス感染はおさまっていくという単純なことが起きているだけだからです。
ですから、新規感染者の発生を減らしたいなら、感染の拡大を止めるために必要な程度まで人と人の接触の度合いを減らさなくてはいけません。
減らし方が不十分なら感染は拡大するだけです。
つまり、感染が拡大しているなら、それは人と人との接触の度合いがまだまだ大きすぎるということを意味します。
ところで、どの程度まで人と人との接触の度合いを減らすのかということは私たちの意思で決定できることです。
そして、私たちがどのように振る舞うのかによって、完全に結果が決まります。
台風や地震のような災害とは違い、運命は完全に私たちが選ぶことができるわけです。
私たちは自然の法則を知り尽くしているわけではない。
また、知っている法則を必ずしも適切に使いこなせるわけでもない。
だから、本当のことは簡単にはわからない。
マスクを使ったり、他の人との距離を保ったり、一緒にいる時間を短くしたり、パーテーションを設置したり、換気をよくしたり、徹底的に消毒すれば、お互い感染させたり感染したりする確率を下げることができることを私たちは知っています。
でも、どのぐらいなら大丈夫なのでしょう?
ここまでやれば、絶対に感染しないというしきい値はあるのでしょうか?
集まる人数を少なくするほど、感染者の発生する確率や人数を抑えることができることも私たちは知っています。
でも、何人までなら絶対に感染しないというしきい値はあるのでしょうか?
感染者の発生する確率がとても低い一つひとつの行為も、あちこちで繰り返しおこなわれればいつかどこかで感染者が発生します。
「たぶん大丈夫」だと思われる行動を、それぞれの人がいろいろな場所な何度も繰り返したらどうなるのでしょう?
全体として感染者を減らすには、何箇所までなら、何回までなら大丈夫なのでしょう?
私たちはまだそういうことを知りません。
では、こんなとき、私たちはどうしたら良いのでしょうか。
新規感染者の発生を本当に減らしたいなら、不確実さが大きい「ぎりぎり」の手段だけに頼るのではなく、できるだけ速やかに確実性のある手段を使い、感染の拡大を早急に抑えたほうが得策です。
そうは言っても、感染を押さえても経済活動を再開していけばどうせまた感染がどんどん広がるのだから意味がないと考える人も多いようです。
でも、この考えは結局、新規感染者の発生を減らすのは諦めるということにしかなりません。
ところでいくつかのアジア・太平洋諸国、地域では、いわゆる封じ込めにほぼ成功ています。
台湾、中国、シンガポール、ベトナム、タイ、ニュージーランド、オーストラリアなどがよく知られた例です。
台湾を除いたこれらの国では、まず新規感染者の発生の観測がほとんどゼロになるまで強い手段を使い、それが達成された後はできる限りゼロを保ち続けるという戦略がとられています。(台湾は 2019 年 12 月 に中国での新型ウイルスの発生に関する情報を早々と入手し、ただちに徹底した水際対策をおこない地域内へのウイルスの持ち込みを極限まで押さえ、さらに十分機能する検査・追跡・隔離体制の利用、IT技術を用いたマスクの安定的な供給体制の構築などをおこないロックダウンをすることなく新型コロナの封じ込めをしてしまいました。)
面白いことに、これらの国や地域では新規感染者の発生がゼロの期間は結構長く続き、その間、今の私たちの国と比べてもゆるい行動制限のもとで経済活動が行われています。
そのような国がとっている戦略を学ぶことは有意義なはずです。
ここからは、新規感染者の発生を減らすにはどうすればよいかということをいまあらためて思い出すために、もうすでに広く知りわたっているはずの知識をあらためて整理していきたいと思います。
感染の広がりを抑える手段にはどのようなものがあるのか
人が人へ移すことによって感染が広がるのですから、人と人の接触の度合いを減らす以外の方法はありません。
そのために使われる手段を三つに分けて考えてみます。
- 社会全体で協調しておこなう行動制限
これは、誰が感染しているのかわからないために使われる手段です。
ある期間にわたって時短営業、休業、外出自粛、集会中止、移動の制限、出勤や通学の制限などをおこないます。
つまり、人が集まる行為をやめることによって接触の度合いを減らすわけです。
私たちの国では人が集まる行為を強制的に禁止するための法律は整備されていないため、原則として要請という形がとられます。
人が集まらなければ誰かから誰かへ感染するということはおこらないわけですから、これらは確実で強い手段と言えます。
そして、これらを同時に多く組み合わせるほど、効果が高まります。 - 検査・追跡・隔離
これは、感染している人を発見し隔離することによって感染していない人との接触を断ってしまう手段です。
また、感染させてしまったかもしれない人(接触者)を追跡し、その人がもし感染していることが分かれば隔離をおこないます。
この手段は新型コロナ封じ込めに成功しているアジア・太平洋の国や地域で効果的に使われてきました。
これらの国や地域は、大規模な検査・追跡・隔離体制を構築し、適切なタイミングで適切な場所で迅速に徹底的な検査をおこない、社会全体で協調して行動制限をおこなう手段と併用することによって新規感染者の発生をゼロにするという戦略をとったわけです。
また、これらの国では新規感染者の発生がゼロになった後でも強力なモニタリングが続けられ、新規感染者が少しでも見つかるとすぐに封じ込めにかかります。
(たとえば、Our World in Data というウェブサイトで調べてみると、封じ込めがうまくいっている国や地域では、ここぞという時に 1 人の感染者を見つけるために行われる検査の数が私たちの国と比べてケタ違いに大きいことがわかります。)
これからわかるように、大規模の検査・追跡・隔離はうまく使えばかなり有効で確実性もあり、かなり強い手段と言えます。
ところで私たちの国では、検査の有効性や必要性に関する認識が諸外国と違い、検査数をできるだけ抑制するという方針で対策が行われてきました。
当初に比べれば検査数は増えてきているとはいえ、その方針はいまだに尾を引いていて多くの先進国や検査に積極的な国に比べると検査数はケタで少ないのが実情です。(2020 年 12 月でも 100 万人あたりの検査数は世界 150 位前後をウロウロしているということを worldometers というウェブサイトで調べることができます。) - 個人レベルの感染予防対策
これも、誰が感染しているのかわからないために使われる手段です。
マスクの着用、手洗い、消毒、換気、ソーシャルディスタンシングなどの手段によって人と人との接触の度合いを減らします。(私たちの国では、食べ物を口に入れるとき以外はマスクを絶対に外さないようにして食事をする「マスク会食」のようなものまで提案されました。)
これは緊急事態宣言の解除後、私たちの国が頼ってきたほぼ唯一の手段と言っても良いでしょう。
しかし、これは人が集まることを前提にしていて、人は集まるけど感染はギリギリのところで食い止める、つまりウイルスはすぐ近くにあるかもしれないけれど絶対に取り込まないようにする事を狙ったもので、確実性に劣る弱い手段と言えます。
戦略を持っていない私たちの国
新規感染者を減らすためには先に書いた 3 つの手段をそれぞれどんな時にどのように組合せれば良いのかということを考えなくてはなりません。
またそのように組合せたとき、新規感染者が十分減るまでにどのぐらいの時間がかかるのかということも見積もらなくてはならないのです。
つまり、戦略をたてる必要があります。
ところが緊急事態宣言の解除後はもう、政府、政党、政治家、専門家のいずれからも、そのような戦略の話を聞くことはなくなりました。
2020 年 4 月に緊急事態宣言が発せられる際、厚生労働省のクラスター対策班に所属していた西浦博氏は「人と人との接触機会を 8 割削減すれば、約 15 日で新規感染者を緊急事態宣言前のレベルまで減らすことができる」ということを説明しました。
これに基づき、いわゆるロックダウンと呼ばれるものに比べれば極めて弱い対策ではあったものの、休業要請、不要不急の外出の自粛要請、学校に対する休校要請などの社会全体で協調しておこなう行動制限がとられました。
戦略?と言えるかもしれないものが述べられたのはこれが最後だったと言えるでしょう。
その後、各都道府県でロードマップのようなものが一応作られました。
たとえば東京都は「東京アラート」を発したり「ロードマップ」を作ったりしたことはありましたが、これらは戦略と呼べるようなものからは程遠いものだったと言えます。
これらは、どのレベルになるまで感染を抑制するという目標があいまいで、行動制限の解除や要請の基準や運用が変わっていってしてしまうようなものでした。
そこでは、常に、行動制限の解除が容易になる方向へ変わっていくことがあるばかりでなく、行動制限の要請は出さなくて済むような方向へ変わる運用がされてきました。
結局、人と人との接触の度合いを減らす手段として用いられたのは主に個人レベルの感染予防対策ばかりだったわけです。
そして新規感染者が増えるたびに、個人レベルの感染予防対策の徹底を呼びかけるばかりという状況が続きました。
マスクやパーテーションなどの力を借りながら飛沫感染を絶対に避け、手洗いや消毒の力を借りながら接触感染を絶対に避け、マスクや換気の力を借りながら空気中に長く漂うとされるウイルスを含んでいるエアロゾルを吸ってしまうことを絶対に避けるという、極めて難度の高いミッションを国民に求めるばかりだったのです。
この間、接触の度合いを減らす戦略についての議論が本気で専門家や政府の間で行われた感はなく、GoTo ナントカキャンペーンのような、人と人との接触の度合いを増やす恐れならある政策を続けるかやめるのかという議論をするのが精一杯という状況です。
テレビを始めとするマスコミでも、「だれだれという政治家が会食をした」というレベルの話で止まってしまい具体的に新規感染者を減らす戦略についての話へはなかなか進みません。
危機を乗り切る戦略がたてられることはないのです。
こんな有様ですから、新規感染者の発生を減らす戦略について総理大臣が国民にきちんと説明をし説得するなどということは望むべくもありません。
これでは経済的な打撃もいつまでも長く続くことになるでしょう。
対策はいつも時間的にギリギリで限界が近づいてから行われる
感染が起こってから感染者としてデータにカウントされ報告がおこなわれるまで二週間近くを要します。
ですから私たちは、約二週間前に起こった感染の状況を見てから判断し対策を打っていることになります。
いまどうなっているのかはよくわかりません。
新規感染者が増えるとき、その数は基本的に倍々ゲームで増えていきます。
しかし、病床数や医療スタッフなど医療資源は倍々ゲームで増やすことはできません。
また、政策決定ではいつでも感染の広がり方そのものよりも重傷者・死者数、病床数が重視されてきました。
そして、感染の拡大が続いていても重傷者・死者数はまだ増えていないとか病床数にはまだそれなりの余裕があるという理由で対策を打つことは先延ばしされて来ました。
しかし、だれでもわかるように、感染の拡大が始まったらできる限り速やかに決断して対策を打たないと間に合わない恐れが常にあるわけです。
そして、新規感染者の発生を減らすことなく、重傷者、死亡者を減らす魔法のような方法は今の所ありません。
勝負の三週間
新規感染者の急激な増加を受け、 2020 年 11 月 25 日、西村経済再生担当大臣は「この三週間が勝負だ」として感染対策を短期間で集中的に行うことを呼びかけました。
しかし新規感染者が確認される数は各地で過去最多を何度も更新し続け感染の拡大に歯止めをかけることはできませんでした。
完全に政府および国民の負けです。
勝ったのはウィルスです。
この時にとられた対策は国民の行動変容の呼びかけ、飲食店の時短営業の要請、決断が遅い GoTo ナントカキャンペーンの抑制などだけでしたが、そのような弱い手段を中心にした対策や増える恐れのあるものをやめるだけでは新規感染者発生を減らすことができなかったわけです。
その程度のやり方では勝てない相手だということがあらためてはっきりしたようです。
「負けに不思議の負けなし」と昔ある人が言ったように、負けるべくして負けたということでしょう。
最高責任者および首脳陣を「勝てる人」に変え、勝てる戦略を打ち出すべきです。
そうしないとこのままずっと負け続けることになるでしょう。
戦略を変えて戦わない限り、「人類が新型コロナに打ち勝った証として」オリンピック・パラリンピックを開催することもできないでしょう。
そもそも、どうして「三週間」だったのでしょうか?
4 月に出された緊急事態宣言は解除されるまで七週間を要しています。
そのときよりも弱い対策ばかりで、しかもわずか三週間でなんとかするという見積りを本気でしていたのでしょうか?
そのような見積りをする人たちに、まともな戦略を組むことなどできるのでしょうか。
この先考えられる、もっともありそうな感じのする感染拡大の推移
緊急事態宣言解除後にとられてきた対策を振り返ってみましょう。
感染の拡大が見られても個人レベルでの新しい生活様式の実行、個人レベルでの行動変容といった弱い手段ばかりに頼りギリギリ限界が近づくまで強い手段を使いませんでした。
また、強い手段を使うときもそれらを小出しにしていくという対応をしてきました。
このような事を今後も続けていけば、
対策が弱すぎるので医療崩壊が危惧される限界まで増える
↓
慌てて対策を強め少し減少するが十分減る前に対策を弱めるので高止まりする
↓
対策が弱すぎるので医療崩壊が危惧される限界まで増える
↓
慌てて対策して少し減少するが十分減る前に対策を弱めるので高止まりする
↓
対策が弱過ぎるので医療崩壊が危惧される限界まで増える
↓
というようにベースラインは高くなり続け、結局、感染拡大が続いていくのはだれでも想像できることです。
その結果は悲劇的です。
半年、一年といった少し長い期間で見てみれば、平均的に 1 から 2ヶ月ごとに新規感染者が倍増していくことが続く可能性が高いでしょう。
封じ込め戦略をとり成功を収めている国に対する誤解
人権やプライバシーを侵害している国だからできる?
ニュージーランドやオーストラリアも封じ込めに成功しています。
人口密度が小さい国だからできる?
東京都より人口密度の大きいシンガポールも封じ込めに成功しています。
外出制限のような厳しい自粛・我慢が常に続いている?
はじめのほうで述べたように、これらの国では感染の拡大が始まると速やかにロックダウンと呼ばれるものも含め強い行動制限や大規模な検査が行われ、新規感染者の観測数がほとんどゼロになるまで対策は続きます。
その期間は国民はかなりの我慢を強いられることになります。
そのような強い対策は、国、地域、感染状況によって数日から数週間で終わる場合もあれば、数カ月に渡る場合などケースバイケースですが、一般的には対策が強ければ強いほど、ゼロになるまでの期間は少なくて済むと言えます。
一方、一旦ゼロになると、面白いことに今の日本と比べてもゆるいと思える対策でも新規感染者の発生がほぼゼロの期間がそれなりに長く続きます。
大規模な検査体制を利用して新規感染者の発生をモニタリングし続けるとともに、数カ月にわたって新規感染者の発生をゼロに押さえ続けるということが実現している地域もあるぐらいです。
そのような期間、これらの国や地域では一般的な感染予防対策をとった上でイベントなどを始めとする経済活動もかなり普通に行われ、経済と感染拡大予防のバランスをとろうとする戦略をとっている国に比べても総じて経済的打撃は小さいという分析がいくつか報告されています。
COVID-19: Saving thousands of lives and trillions in livelihoods
To Save the Economy, Save People First
封じ込めをしている国では、現代科学の成果である PCR 検査や IT 技術を新型コロナと闘うための武器としてうまく利用してきました。
しかし私たちの国では、そのような現代科学の成果を積極的に使うことはありませんでした。
特に「脆弱過ぎる PCR 検査体制をいつまでたってもそのままにしてきたこと」が最も悔やまれます。
新規感染者を減らすために私たちがすぐに使うべき手段
勝負の三週間を経て
- 社会全体で協調しておこなう行動制限
- 検査・追跡・隔離
- 個人レベルの感染予防対策
という 3 つの手段のうち、個人レベルの感染予防対策に頼るばかりでは新規感染者の増加を止められないことがはっきりしました。
つまり、人と人との接触を前提とし、エアロゾルによる感染を防ぐことが難しく、僅かな油断が感染拡大につながりかねない綱渡りのような手段の限界がよく見えているということです。
ところで残念ながら、私たちは今の所、脆弱過ぎる検査・追跡・隔離体制しか持っていません。(もちろん、脆弱ながらもできる限りの積極的な検査をおこなって感染の拡大を押さえなければなりません。)
ですから必然的に、今すぐとるべき手段は「社会全体で協調しておこなう行動制限」ということになります。
社会全体で協調して、新規感染者が十分減るまで、戦略的に徹底して人が集まる行為をやめるしかないことがはっきりしているのです。
医療と経済の共倒れが進行しています。
もう私たちには時間がありません。
本来なら、政府は常に新規感染者の発生を減らすことと同時に感染の拡大を絶対に引き起こさずに経済的に窮地に追い込まれる人たちを支える戦略を考え続ける責任があります。
しかし、私たちの政府は感染拡大の抑制にすら極めて消極的で本気で戦略を練っているとはとてもいえない状況です。
もう、偉い人に何か指示されるのを待っているわけにはいかなくなっているのです。
新規感染者の発生を減らすためには自主的にできる限りの行動制限を自分に掛けていくしかないのです。
そして、社会全体で協調するほど、制限が強いほど、短い期間で危機から脱出できます。
まず一人ひとり、そしてみんなで「それ、本当に、どうしても集まらないとダメなの?」って考えてください。
感染症の広がりがどのようになるのかということは私たち一人ひとりの行動の結果として完全に決まります。
私たちはどの運命を選ぶのか話し合うべきです。