三回目の緊急事態宣言が出されてから 50 日以上が過ぎたが新規感染者がまだまだ多く発生している。
殆どの人は感染しないようにかなりの対策をしているが、職場、学校、保育園などで普通に働き生活をしているだけでも感染してしまうことが決して少なくない。
知らずに家庭に持ち帰って家族に感染させてしまうことも多い。
自分が今日感染しなかったのは「たまたま」だ。
外では見えない弾がどこかに飛んでいる。
まるでロシアンルーレットに参加させられているようなものである。
検査をすれば見えない弾を可視化することができるが、そんなことが本気でおこなわれる気配は全くない。
新型コロナウイルスパンデミックが始まってとうに一年が過ぎているにもかかわらず、私たちの国では検査すら簡単に受けられないような状態が続いている。
発熱していたり、喉の痛み、咳があるようなとき近くのクリニックへ行っても「様子をみましょう」と言われるだけで、すぐには検査が受けられないことが依然続いている。
医療介護に携わる人に対する定期的検査はやっとのことで少しづつ導入されるようになってきているがその数や頻度は全く不十分だ。 学校、幼稚園、保育園の定期的検査などは望むべくもないという状況が続いている。
欧米の学校ではすべての生徒・学生・教員に対する週二回程度の検査をおこなう事が対面授業をおこなう場合の最低の条件になってきている。
たとえばイギリスでは 2021 年 3 月に学校での対面授業を再開するにあたって、生徒やその家族、さらには通学用バスの運転手らに対しても検査を週二回、無料で受けられるようにした。
そのような検査を含め 2021 年 3 月 以降イギリスでの検査数は一日あたり100 万件(7 日間移動平均)を超えるようになった。
イギリスでは昨年末からの強力なロックダウン(ロンドン→イングランドと拡大)とワクチン接種の推進により 2021 年 5 月下旬になると新規感染者の発生数は私たちの国の 3 分の 1 程度にまで減ってきたが、検査の数もさらに激しく増やしてきているのである。
私たちの国では保健所を通じておこなわれる行政検査が中心だが、新型コロナパンデミック以前から保健所は国の政策に従って統廃合、縮小がおこなわれてきたこともあり、検査・追跡能力はとても小さなものだった。
昨年の 5 月あたりから医師会が検査に協力するようになったとは言え、それでも彼らだけではあまりにもわずかの検査しかできず、パンデミックが始まって一年以上がたつにもかかわらず、今でも一日あたりの検査は 10 万件(7 日間移動平均)に届ないといった有様である。(イギリスの人口が私たちの国の人口の半分程度であることを考えると単位人口当たり検査数の差は圧倒的である。)
このように防疫という観点から見て全く不十分であるにもかかわらず、私たちの国では政府から多くの地方自治体にいたるまで、大学や民間の力を活用して検査体制を拡大するということをいまだに避け続けている。
世界のどこをみても、命を守るためにできる限り多くの検査をおこなおうとしているが、私たちの国にはそのようなことをおこなう気配はない。
検査は感染症拡大を止めるための基本的な手段で、感染している人と感染していない人との接触を徹底的に防ぐためには大規模な検査体制が必要なのだという認識がないといえる。
そんな中、2021 年 4 月 14 日、私たちの政府は 7 月に予定されているオリンピック期間中、選手をはじめとする関係者に対して毎日 PCR 検査をおこない、彼らの安全を確保するつもりであることを公にした。
つまり、政府は検査は安全を確保するために必要なことであると本当は認識しているわけだ。
その一方で一般国民は相変わらず検査が簡単に受けられないままにされていて、オリンピック関係者だけは守ることにしたということになる。
わたしたちの政府はいちいち国民の命を守る気など無いということを白状したようなものだ。
仏紙リベラシオンが 5 月 13 日 「TOKYO KO, LES JO?(東京オリンピックはノックアウトか?)」という記事で
政府は、PCR検査数を増やすこともなく、ワクチンの提供を急ぐこともなく、医療体制を強化することもなく、必要な資金援助をすることもなく、1年以上もウイルスの蔓延を放置している
彼らが感染症対策を並べれば並べるほど、『政府が日本国民のために行ってこなかったこと』と、『東京に来るとされる代表団のためにIOCの指示で承諾していること』との間の隔たりが大きくなる
と報じているということを COURRiER JAPON が伝えている。
前の記事で、封じ込め戦略を成功させている国や地域では、封じ込め戦略をとることに失敗した国や封じ込め戦略をとるつもりがない国に比べ、感染者数だけでなく死者数が圧倒的に少ないということを書いた。
特に、死者数については強調しておく価値がある。
なぜなら、今後もこれらの国や地域では感染者自体をゼロにすることを目指し続けるため死者の数も少数に押さえ続けられるからだ。
※ 私たちの国では必ずしも感染者ではなく、いかに重症者および死者の数を押さえるかという事を方針としていたが、これは結局裏目に出ることになった。
感染者は指数関数的に増加するためあっという間に多くの感染者が発生するが、そのような状況で感染者そのものの数を押さえずに重症者や死亡者だけを少なくするということはできない。
感染者がこのような増え方をすればどのみち医療キャパシティーを超える感染者そして重症者、死者が出るわけである。そして、医療機関に受け入れられないまま死亡してしまう人が多数出ることになった。
封じ込めに成功した国や地域では、人々の行動を協調して制御することにより、完全と言っても良いぐらいに感染症の広がりをコントロールできるということを証明した。
たとえばニュージーランドでは、2020 年 3 月下旬から約二ヶ月半にわたって、原則として同居家族のように日頃一緒に暮らしている人以外には会わない生活をすることによって国内での感染者をゼロにすることに成功した。
外との接触を原則としておこなわないそれぞれのグループはバブルと呼ばれる。
ニュージーランド政府はバブルの中にいれば安全だというメッセージを自国民および在留外国人に送った。
また、検査は簡単にできるから気になる症状がある人などは是非検査を受けるようにというメッセージを積極的に送リ続けた。
もちろんバブルの中に万が一どこかからウイルスが持ち込まれてしまえばそのバブル内で感染が広がることはあるが、他のバブルへ感染が及ぶことはない。
つまりバブルは頑強な防火壁の役割を果たす。
このバブルは数人からなる小さな物なので、濃厚接触者の追跡もほとんど完璧におこなうことができる。
※ 2021 年 7 月におこなわれる予定の東京オリンピックでは 1 万 5 千人規模の選手たちからなるバブルを作ると言われているが、このような大人数では感染対策を一歩間違っただけで 2020 年 2 月に横浜に寄港時に船内で感染拡大が起きていたクルーズ船ダイアモンドプリンセス号のようになってしまう恐れがあるかもしれない。
小さなバブルをつくりある有限の期間だけ徹底して人と人の接触を断てば、じきに感染者はゼロになる。
この感染症はある人が他の人へ移すことによってだけ拡大するものなのだから、これは当然の事だと言える。
あまりにも当たり前で理にかなった対策である。
このようなバブルをつくり厳格なロックダウンがおこなわれる間、もちろん大変な思いをしながら過ごした人もいたに違いないが、生活するには十分な補償も出て多くの人は問題なく過ごすことができたようだ。
次はニュージーランドにいる Rice さんの twitter からの引用。
NZは楽だった。ロックダウン中は通勤禁止、学校も閉鎖。やる事ないので家の周り散歩したり庭でキャッチボールしたりお菓子作り。国から定額の補償が出たので家族みんなで2ヶ月過ごした。結果、ウイルスはBubble内で消えてゆき、国内の感染者がゼロになった。
Zero Covid Strategyは全てが上手くゆく
「自宅近くで家族だけで過ごす少し長めのバカンス」と考えて過ごしていた人も多かったかもしれない。
一旦国内・地域内で感染者がゼロになればそこではもう新規感染者はあらわれない。
そして、国境をこえて侵入する感染者の捕捉を徹底すれば、その後国内や地域内の感染者がゼロの期間が長く続く。
だからこれらの国や地域では一旦感染者をゼロにしたあとでも、国内への侵入を防ぐために厳しい検疫をおこなう。
そして、それでもごく稀に起きる検疫のすり抜けによる国内・地域内での感染が見つかるやいなや、躊躇せずただちに社会全体で強調してロックダウンと呼べるレベルの行動制限を実施し、積極的で大規模な検査・追跡で感染者をすべて見つけ出し、隔離により感染の広がりを食い止め再び感染者ゼロの状態を再び作り上げる。
一方、早期の感染封じ込めに失敗した国ではいつまでも感染が蔓延し、感染爆発と行動制限による感染の抑制を何度も繰り返さなくてはならなくなった。
そしてこれらの国では今後も見過ごすことができない死者が出ることとなる。
ところで私たちの国は、感染拡大抑制の基本である「社会全体で協調しておこなう行動制限」や、「検査・隔離・追跡」という手段をできる限り使おうとしなかった。
もっぱら個人レベルの感染予防対策ばかりを当てにして凌ごうとしてきた。
つまり、行政の力がなければできない対策はほとんど何もおこなわなかったわけである。
政府や多くの都道府県などの行政の対応はいつも「緊張感を持ってしっかり注視していく」といって見ているだけでなにか具体的な手を打つわけでもなく、それでもどうしようもなく感染者が増え医療崩壊が目前に迫ると、渋々一部の業種に対して十分とは言えない補償を出し時短や休業を要請するのがせいぜいだったのである。
これまでもっぱら欧米や南米でおこった大規模の感染爆発は国民一人ひとりの感染予防努力によりなんとか食い止めてきているとは言え、私たちの国では依然ゆっくりと感染爆発が続いている。
長い目で平均的に見れば、欧米や南米のように数日や数週間という速いペースで新規感染者が倍増していくということは起こらなかったとは言えるが、ゆっくりと数カ月ごとに新規感染者数が倍増していくという状態がつづいているのである。
私たちの国の政府や行政は、これまでも、そしてこれからも抜本的な対策をするつもりはなく、たまたま外国の製薬会社が開発に成功したワクチンだけを頼みの綱にしている。
実際、感染拡大防止にはほとんど関心が無いように見える菅首相の口からでるのはワクチンという言葉だけである。
いま医療従事者および高齢者に対するワクチン接種が急がれているが、国民全体に対する接種が終わるまでにはまだまだ時間がかかり、年内に終えるのは無理かもしれない。
社会を動かしている年代の人たちはまだ何ヶ月も無防備な状態におかれることになるが、その間にもウイルスは変異していく。
そしてすでに感染力が強いものが次々に生まれてきている。
2020 年秋にイギリスで確認された B1.1.7 は従来株の1.5 倍程度、そして 2021 年春にインドで確認された B1.617.2 はさらにその 1.5 倍程度の感染力があるとされる。
B1.617.2 は 1 人の感染者が平均 6 人程度に感染させる力を持っているわけで、ワクチンが有効だとしても接種が進むスピードを簡単に凌駕して感染者を増やす恐れが大きい。
感染力が強くなればなるほど、集団免疫を達成するために必要となるワクチン接種率も上がりハードルは高くなっていく。(1 人の感染者が 6 人に感染させてしまうウイルスの場合、必要となるワクチン接種率は $1-1/6 = 0.833…$、つまり約 83 % であるが、ワクチンの有効性は 100 % ではない。ファイザー、モデルナのワクチンでもその有効性は 95 % 程度とされるので有効な免疫を獲得した人の割合が約 83 % となるにはもっと多くの人に接種する必要がある。そして私たちの国でそれが達成されるのはずっと先のことである。)
2021 年 6 月上旬イギリスでは全成人の 74.9% が 1 回目の接種を終え、成人人口の 3 分の 1 以上が 2 回のワクチン接種を終了しているとされるが、インドで確認された変異株 B1.617.2による感染の拡大が始まっていると言われている。
ではここから、これまでの私たちの国がどのような対策をおこなってきたかその経緯を独断で詳しく振り返ってみることにしよう。
これは、「検査・隔離・追跡」と「社会全体で協調しておこなう行動制限」という感染症対策の基本を投げ捨て、理にかなわない対策だけで乗り切ろうとし、叶うことのない願望ばかりを持ち続け、結局自滅へ向かうまでの記録である。
それは検査の抑制から始まった
2019 年 12 月末、中国本土で新型のウイルスが発生しているという情報を独自に入手していた台湾はただちに水際対策を徹底し鉄壁の防御を構築しようとしていた。
ただちに入国時の隔離や感染疑いのある人の隔離が徹底され、台湾内部へのウイルスの侵入を食い止めていた。
台湾は新型コロナとの第一回目の闘いにこの時点で勝利することが確実になったと言える。
4 月中旬まで僅かに数えるほどの感染者が見つかるということが続いたが、その後 12 月末まで 253 日間連続市中感染者の発生はゼロとなった。
私たちの国では 、2020 年 1 月 15 日、武漢から帰国した中国籍の男性が、初めて新型コロナウイルスに感染していたことが確認される。
私たちの国の動きは鈍かった。 安倍首相は 1 月 24 日、春節で中国から来日する観光客を歓迎するメッセージを発表。
また北海道では 2020 年 1 月 31 日から 2 月 11 日にかけて札幌雪まつりがおこなわれ、中国からの観光客も参加していた。
そのころ中国では、 2020 年 1 月 23 日、世界で最初に感染爆発が起こり始めた武漢で都市封鎖が始まり、中国国内からの新型コロナウイルス完全排除に取り掛かろうとしていた。
私たちの国で対策本部の初会合がおこなわれたのは 1 月 30 日、専門家会議がスタートしたのは 2 月 16 日である。
北海道では 2 月下旬になると感染者が急増し、当時の微々たる検査能力で日々数名から十数名の感染者が発見されるようになり、2 月 27 日から鈴木北海道知事は 1 週間の休校を実施し、学校を通じた感染拡大を防ごうとしていた。
そしてさらに安倍首相は突然 3 月 2 日から春休みに入るまで全国で休校を実施。 そのあたりから徐々に日本全国でも感染者が見られるようになっていく。
3 月になると、武漢ではまだ都市封鎖は解除はされないものの、感染は確実に収束へ向かっていき、新型コロナウイルスの完全排除が見えてきていた。
一方、そのころ感染は水際対策に失敗したヨーロッパへ広がり、ヨーロッパは感染爆発の中心地となっていった。
そのころ私たちの国でも水際対策は相変わらずゆるゆるで、3 月にはヨーロッパからの帰国者が持ち込んだとされるウイルスも広がっていくことになる。
うちで治そう・4日間はうちで・受診の目安は 37.5 度が 4 日間
政府に助言をする立場にある専門家は当初何故か、というよりやはり、楽観的な見通しを持つ人ばかりだった。
以下は 2020 年 1 月 20 日の時事ドットコムに掲載された記事からの引用である。
この中で厚生労働省の専門家らおよびクラスター対策班の押谷仁氏、新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボードメンバーの岡部信彦氏が次のような見通しを述べている。
専門家らは、人から人への感染は限られていると指摘し、「国内で感染が広がる危険性はほぼない」と冷静な対応を求めている。
厚生労働省によると、中国で人から人への感染が疑われる例が起きている。だが、感染リスクが高い医療者の発症が報告されておらず、感染力は限定的だと複数の専門家は分析する。押谷教授は「国内で感染が広がるリスクはほぼない」と語り、症状を引き起こす「病原性」について「致死率10%弱のSARSよりかなり低い印象。SARSは当初から重症者がもっと多かった」とみる。
川崎市健康安全研究所の岡部信彦所長は「国内の人は特別な対策は必要ない。手洗いやマスクなど、インフルエンザの予防策を取れば足りる」と話す。現地を訪れる場合については「生きた動物を扱う市場の観光は避け、野生動物に触らない。帰国後に熱やせきの症状が表れたら、渡航歴を告げて受診してほしい」と求める。
これが武漢が都市封鎖される数日前の私たちの国の専門家の認識である。
また、私たちの国では 2020 年 4 月に一回目の緊急事態宣言が出されることになるが、そのような事態にいたる前、 3 月 18 日の朝日新聞の記事 「コロナ、そこまでのものか」専門家会議メンバーの真意 の中で岡部氏は次のように発言している。
「『法律ができあがったから、この病気ですぐ宣言しよう』ということには反対です。宣言は伝家の宝刀であって、そんなに簡単に抜くようなものではありません」
「新型コロナはそこまでのものではないと考えているからです。新型インフル等に『等(とう)』を入れることには私も強く賛成しました。新型インフルだけでなく、新しくて重症で広がりやすい病気の場合にも、応用として使えるようにしておいた方がいいと考えたからです。しかし、そこで想定した新感染症は、感染症法での1類感染症(エボラ出血熱など)並みの極めて危険なものです」
「新型コロナは8割ぐらいは普通の風邪同様3、4日で治ります。高齢者は季節性インフルでも普通の風邪でも肺炎などになりやすいので、この間に悪くなったり長引いたりする人が要注意です」
これらの発言からは、「最悪の事態を想定する」という考えは見えてこない。
そもそも、本当のことは簡単にはわからない。
世界中のどこを見ても不十分な調査、研究しかおこなわれていない時点ではなおさら不確定なことしかわからない。
これだけの楽観的な見通しを結論する十分な根拠などなかったはずである。
当然、悲観的な見通しを持つ専門家も世の中にはいたが、何故かそのような人は政府に近いところにはいない。
そしてテレビを始めとするメディアでも楽観的な見通しを述べる専門家が当初目立つようになった。
彼らの中ではとにかく「都合の悪いことは起こらないことになっている」ようだった。
コロナ専門家有志の会(政府対策本部の専門家会議や厚労省クラスター対策班等の関係者で組織された専門家の有志の会)は 2020 年 4 月 8 日にインターネットで発表した記事#感染時に備えよう 体調が悪いときにすること の中で、いくつかの「いま、拡散してほしいこと」をあげているがそのなかに、「うちで治そう」「4日間はうちで」というものがある。(この記事はその後二度内容の更新がおこなわれ、「うちで治そう」「4日間はうちで」は撤回されている。)
ここで彼らは
もちろん、誰でも出来るだけ早くお医者さんにかかりたい。しかし、行った先の病院などの医療機関でコロナに感染してしまうこともありえます。また、今は皆さんで協力して医療を守っていくことも大事です。
微熱やせき等の風邪の症状がある時、まずはご自宅でしばらく様子をみましょう。ご自宅で安静にして、体の回復を待ちましょう。
持病がない64歳以下の方は、風邪の症状や37.5℃以上の発熱でも4日間はご自宅で、回復を待つようにしてください。
ということを訴えている。
国民にメッセージを送ることができる立場にいた専門家たちは「重症者以外は心配しなくても良い」という楽観的な見積もりをし、「うちで治そう」「4日間はうちで」が私たちの国の基本方針になっていった。
なるべく病院へ行かないように。
風邪のような症状があって新型コロナが心配でも、軽症ならば病院へは行かず、家にいるように。
そうすれば他の人に移すこともなく感染は収束していく。
心配だからといって、多くの人が検査のために医療機関に押しかけると院内感染、医療崩壊が起きて大変なことになる。
それに新型のウイルスなので治療法はない。
だから病院へ行っても意味がない。
検査をしても意味がない。
うちで治そう。
大部分の人は軽く済むので問題ない。
受診の目安は 37.5 度以上が 4 日。
重症の人だけ病院でケアをし、検査も重症の人だけ。
このようにして、早期診断、早期治療という一般的に受け入れられている考えは捨て去られ、重症になるまで待ってから診断をおこなうという方針になってしまったのである。
そして 39 度を超える熱が出た人の中にもいつまでたっても検査すら受けられない人が多くいるという話があちらこちらから聞かれるようになった。
このような話はテレビのワイドショーでも取り上げられた。 2020 年 2 月 TV 朝日のモーニングショーという番組ではコメンテータの玉川徹氏を始めとして感染症の専門家、医師が民間の検査機関・大学などを活用すればもっと検査ができるということを主張していた。
また、検査による早期診断と早期治療が原則でなければならないという事を訴え、積極的に検査をおこなうべきであるという話をしていた。
レギュラーコメンテータの玉川徹氏はそれ以来、この番組で毎回のように検査の重要性と検査体制の拡充を訴え続けたが、一年以上たった今でも、諸外国とくらべて桁違いに少ない検査しかおこなわれていない。
間もなく新型コロナウイルスの感染者のうちに容体が急変してしまう人が次々に見つかるようになる。
検査をなかなか受けられないために医療機関へのアクセスが遅れ、その間に体調が急変して重症化し、さらには命を落としてしまうような人も出てきていた。
そのころ韓国では必死で徹底的な検査をおこない、追跡・隔離を徹底することにより新規感染者を減らすようになっていた。
彼らはドライブスルー検査やウォークスルー検査を導入、さらに隔離施設を全国に作るなど病院の負担を減らす対策をとり、一般の診療への影響を押さえていた。 そして医療崩壊は起こらなかった。
次は TBS NEWS の twitter より引用 (Firefox で閲覧している場合、画像や動画が正しく表示されないことがあります。強化型トラッキング防止機能などをオフにすると表示されるかもしれません。またはリンク先で見てください。)
【韓国 医療崩壊しないワケ】
— TBS NEWS (@tbs_news) April 8, 2020
1万人超が感染した #韓国。 この1週間は1日当たりの感染者数が100人以下に。政府がとった戦略は、徹底的な「検査」と「隔離」。 さらに、病院の負担を減らす政策も。そして致死率が低いドイツの医療態勢、日本との違いは?#news23 #新型コロナ #PCR検査 pic.twitter.com/TRd2MA5ymw
このように、病気の早期発見だけではなく防疫の観点からも幅広い検査を行おうとしたいくつもの国とは違い、私たちの国は幅広い検査による感染者の積極的な発見を目指すことはなかった。
そして次に述べるような、クラスター対策と呼ばれる特殊な対策がたてられ、この対策の元でも検査はやはり限定的におこなわれることになる。
専門家会議の分析とクラスター対策による検査抑制
厚生労働省対策推進本部クラスター対策班の押谷仁氏による 「]COVID-19への対策の概念 2020 年 3 月 29 日暫定版」 という資料を見てみることにしよう。
この中で、新型コロナウイルス感染が広がる特徴について 2020 年 2 月下旬までに集めたデータ 110 件の分析から以下のようないくつかの結論を述べている。
まず、新型コロナウイルスの感染が広がる特徴として
多くの人は誰にも感染させないが一部に1人が多くの人に感染させていると考えないと流行が起きている理由を説明できない
と述べている。
またこの資料では、図を用いて感染者 5 人のうち 4 人は誰にも感染させていないことと 1 人だけが多数の人に感染させてしまっているということを説明し、
リンクの追えない症例からつながった患者の集積のうち5人以上のものをクラスターとする
クラスターさえなければ \(R_0<1\):つまり地域にウイルスが入っても流行にはならない
家族内感染などの2次感染があっても\(R_0<1\) なので流行には至らない
と述べている。(ここで $R_0$ と書かれているのは基本再生産数と呼ばれているもので、1 人の感染者が回復または死亡するまでに感染させてしまう人の数の平均値)
さらに、クラスターの起こる環境の類型化を考え、いくつかの場面を列挙するとともに図を用いて
密閉空間であり換気が悪い
近距離での会話や発声がある
手の届く距離に多くの人がいる
という条件をベン図で表し、
3 つの条件が揃う場所がクラスター(集団)発生のリスクが高い
と結論している。
これらはそれぞれ上からよく知られているように「密閉」、「密接」、「密集」と呼ばれ、三つを合わせてさらに「三密」と呼ばれているものである。
※ クラスター対策については一般の人向けにわかりやすく書かれた吉峯耕平さんの記事「専門家会議の「クラスター対策」の解説 ――新型コロナウイルスに対処する最後の希望」や漫画をもちいて解説した つかはらゆきさんの記事 新型コロナで日本がやっていること を見ると良いかもしれない。
つまり、
感染者の 8 割は誰にも移していない。
そして 2 割の感染者が、いわゆる「三密」と呼ばれる条件が揃ったところでクラスターを発生させている。
だからこの 2 割の感染者を追跡・隔離できれば残りの感染者を放っておいても感染は収束する。
検査網にかかるはずの重症者をもとに感染を追うことによりクラスターを発見する。
一方、市民には三密を回避する「行動変容」が求められる。
ということを主張しているのである。
また押谷仁氏はインタビュー記事 外交Vol.61 May/Jun. 2020 感染症対策「森を見る」思考を——何が日本と欧米を分けたのか の中で次のような発言をしている。
欧米諸国は、感染者周辺の接触者を徹底的に検査し、新たな感染者を見つけ出すことで、ウイルスを一つ一つ「叩く」ことに力を入れてきました。
一方、日本の戦略の肝は、「大きな感染源を見逃さない」という点にあります。われわれがクラスターと呼ぶ、感染が大規模化しそうな感染源を正確に把握し、その周辺をケアし、小さな感染はある程度見逃しがあることを許容することで、消耗戦を避けながら、大きな感染拡大の芽を摘むことに力を注いできたのです。そのような対策の背景には、このウイルスの場合、多くの人は誰にも感染させていないので、ある程度見逃しても、一人の感染者が多くの人に感染させるクラスターさえ発生しなければ、ほとんどの感染連鎖は消滅していく、という事実があります。
こうして私たちの国ではクラスター対策によって感染を押さえていくという方針がたてられた。
この、クラスターだけを上手く選ぶという魔法のような方法で都合よく感染拡大を防ぐ方針は、政府にとってはおそらくとても耳障りのよい話だっただろう。
ロックダウンのようにあちらこちらに強い行動制限をかけなくても大丈夫、普通に経済を回したまま効率的に感染を収束させてみせると言っているわけだから。
そしてやはり検査は次のような方針でおこなわれることになった。
検査は重症者に限って抑制的におこなう 無症状や軽症の人に検査をするのは無駄 これもまた政府にとってはとても耳障りのよい話だっただろう。 諸外国のように大規模な PCR 検査体制を構築して防疫をしなくても大丈夫だといっているわけだから。
もちろんクラスター対策に対する批判は当初からあった。
田中重人さんはクラスター対策の根拠となる西浦博氏らの論文を分析し 2020 年 4 月 3 日の記事「8割は人にうつさない」は嘘? (1): Nishiura et al (2020) 論文をどう読むか の中で
それはたまたまデータがそうなっていたというだけの話であり、ここまで検討してきたように、それは単に感染者を捕捉できていなかったせいだとみておいたほうがいい。
おそらくは、感染者の多くは複数の2次感染を引き起こしている (しかし検査体制の不備によりそれらをほとんどとらえられていない) というのが実態であろう。そうとすれば、1人から1-3人にうつすようなケースは相当の厚みで存在しているはずだ。
と述べている。
そしてその後、2020 年 4 月 3 日の記事 重症者を検知器とするクラスター対策およびその帰結について の中である前提条件の元で簡易な計算をおこない、検査で発見される重症者を起点にしてどれだけクラスター連鎖をさかのぼって行くことができるのかということについて
結果はつぎのとおりで、第1-3世代の情報を総合しても、第1世代のクラスターを発見できる確率は81%であり、19%の確率で見逃しが生じることになります。 というわけで、けっこう見逃しているのではないか、と思えてきますね。まあ判断基準はよくわかりません。専門家がみれば、8割もみつけられれば上等ではないか、ということになるのかもしれません。また、繰り返しになりますが、計算の前提が超適当である ことにはご注意ください。
と述べ、検査数を増やして感染者発見の確率を増やすとどうなるのかということについても考察し、
クラスター対策を重視する方針でやっていくにしても、検査を拡充して早めにクラスターを発見できるようにしておいたほうが、見逃した感染者が2次感染、3次感染を広げる (そしてそのなかから一定の割合で死者が出る) ことを抑制できたんじゃないでしょうか、ということになります。
と述べている。
またさらにのち、クラスター対策の方針に則り、小さな感染はあえて見逃し、クラスター感染を起こしている感染者だけを選択的に捕捉するということが実際におこなわれているのかという点について考察し、2021 年 2 月 7 日の 森を見なかったのは誰か:「積極的疫学調査要領」をちゃんと読む という記事で
押谷の主張するような、公式の「クラスター対策」は、小規模な感染 (=木) の探索を省略して、大規模な感染 (=森) を摘発するものだったはずである。しかし、実際におこなわれてきた「現場のクラスター対策」においては、木であるか森であるかは関係ない。ただ、「マスクをしていたか」「感染者とどれくらい離れていたか」「いつ接触したか」「接触の時間は何分か」といった基準によって、個別の接触者を追跡するかどうかを決める「枝切り」をおこなっているのである。
と述べている。
2020 年 3 月 3 日 twitter で押川正毅さんは はやたか さんの記事 百発百中の砲一門と百発一中の砲百門について計算してみる を紹介するとともに
座談会での押谷氏の発言などを見ると、 「百発百中の砲が一門あれば勝てる」 的な(大日本帝国的な)話に聞こえます。 ただ、良く知られているように、百発百中の砲一門は、百発一中の砲百門には全く敵わないわけです。
と述べ、大量の検査をおこなうことができる体制が必要であると主張した。
ノーベル賞受賞者である本庶佑氏はすみやかに感染者を見つけ出し感染拡大を押さえるためには検査体制の抜本的な強化をおこない感染者を見えるようにする事が必要であることをテレビなどで提言し、同じくノーベル賞受賞者である山中伸弥氏は大学などの検査機器を使えば体制強化できるということをテレビなどで提言したがそれが対策に反映することはなかった。
2020 年 3 月 11 日 twitter で 孫正義氏がPCR検査を提供する考えを表明 すると twitter上で反対する意見が続出し結局この時は見送りになった。
私たちの国では濃厚接触者として認定され検査対象者になる範囲も極めて限定的で、なるべく検査をしないということが貫かれていた。
基本的にはマスクをしていたら濃厚接触者認定されない。
しかも、1メートル以内を目安に15分以上接触していた人という条件がつく。
この認定範囲は諸外国とは比べ物にならないぐらいの狭さである。
マスクをしていれば絶対に感染しないという前提に立っているかのような運用がなされている。
ところが予想通り、保健所が濃厚接触者として認定しなかった人に対しても自腹で自主的に検査をしてみるとさらなる感染者が見つかるという例がいくつも発生したが今でもその運用は変わっていない。
また当初は症状を訴えてから検査がおこなわれるまでに一週間近くかかることも多く、結果が出るまでさらに数日かかるということも普通だった。
こんな「狭さ」や「ノロさ」では感染の拡大を止めることはできない。
また、検査を限定的におこなう理由として費用対効果ということも言われた。
数少ない検査で効率よく感染者を見つける事が重視され、空振りが多い検査は無駄だとされた。
これは封じ込めに成功した国とは全く逆の考え方だった。
彼らは感染者がもういないことを確認するために検査をおこなう。
つまり、「こんなに検査をしても見つからなかったんだからもう本当に感染者はいないということだね」ということを確認しているのである。
だから封じ込めに成功した国では、膨大な検査をして感染者が見つからなかったとしても、無駄だったとは考えない。
一方私たちの国は、ギリギリの弱い対策で上手くやろうとし、その結果危ない橋を渡る結果となり、多くの代償を払うことになったのである。
クラスター対策の破綻
2020 年 3 月末になるとクラスター対策による封じ込めは破綻し感染者の増加を押さえられないようになっていく。
そして 4 月上旬に緊急事態宣言発出による行動制限をせざるをえなくなっていく。
ここで本来なら、敗れ去った専門家会議および感染症対策に携わっていた政府のメンバーは辞任が求められても不思議はない。
勝てる人に戦略を建て直させるべきだった。
しかし、そのような声は国民の間からも特に上がらなかった。
プロ野球や Jリーグなら負けが込めば監督、首脳陣の責任問題に発展しシーズン途中でもファンから辞任を求める声が上がるのだろう。
しかしそれとは大違いだった。
そして、検査に対する基本的な考え方も特に改められることはなかった。
このようにして、私たちの国では感染症対策の基本の一つである「検査・追跡・隔離」をほとんど放棄することになった。
これが絶望の始まりだということに気づいていた人は少なかった。
検査抑制の主張を支える様々な言い訳
私たちの国では、様々な人によって検査を抑制するためにありとあらゆる言い訳がおこなわれた。
「検査で今日陰性だったとしても明日感染するかもしれない」や「安心のために検査を受けるべきではない」のように意味不明で防疫という観点をもたないもの、「無症状の人に対する検査をおこなうべきではない」というような検査の効率に関わるものから「検査の精度」に関する一見もっともに聞こえるものまで様々であった。
suna さんの「 検査抑制論者曰く… 」を始めとするいくつかの記事や tatsuharu さんの「 新型コロナに関するデマ、不適切な主張についてまとめました。」を始めとするいくつかの記事でこれらの言い訳に対する反論が易しい言葉で説明されている。
これらの中でも PCR 検査の精度の問題は、検査を絞るべきと主張する医師や感染症の専門家が最も好んだ言い訳だった。
彼らは、PCR 検査の精度は 100 % ではないので、たくさんの人が検査を受けると「感染していないのに間違って陽性と判定される人」や「感染しているのに間違って陰性と判定される人」がたくさん出てしまい大変な混乱が起きると主張した。
つまり、偽陽性、偽陰性がたくさん発生するというわけである。
そして彼らは、医師のような専門家が本当に必要と判断した人に対してだけ検査をするべきだと主張した。
偽陽性、偽陰性がどのぐらい発生するのかという計算は、意味さえ分かれば小学校で学ぶ算数でもできる簡単なものなので、ここで次の問題を考えてみることにしよう。
問題:ある国で流行しているある病気は、10 万人あたり 100 人の割合で感染している人がいるとする。検査の精度は完璧ではないが、感染している人がその検査を受けると 70 % の確率でちゃんと陽性となり、感染していない人がその検査を受けると 99.9 %の確率でちゃんと陰性となるという。それではこの国のある人が検査によって陽性と判定された場合、その人が本当に感染している確率はどれほどだろうか。
答えを得るには次の表の空欄を埋めてみれば良い。
感染している | 感染していない | 合計 | |
---|---|---|---|
検査で陰性 | |||
検査で陽性 | |||
合計 | 100 人 | 100000 人 |
新型コロナウイルス感染症対策分科会の会長である尾身氏はメディアを前にした会見でこのような問題の計算をパネルを使って紹介し、2020 年 10 月 29 日の新型コロナウイルス感染症対策分科会の資料 検査体制の基本的な考え・戦略(第2版) の 10 ページ目でこの問題の計算をしてみせている。
問題の答えをそこから引用すると
実際に感染している人よりも多くの人が偽陽性と判定され、検査陽性者のうち本当に感染している割合(陽性的中率)は、約 41 %(70/170)となる。
ということである。
70 % とか 99.9 % という数値を見れば、この検査は結構高い精度の検査であり信頼性が高いと思いがちであるが、陽性と判定された人のうち 59 % の人たちは本当は感染していない(つまり偽陽性)という思いがけない結果となる。
私たちの国では決して少なくない感染症の専門家、医師などがこのような計算をもとに、10 万人あたり 100 人の割合で感染しているというように、まだまだ感染者の割合が低い場合では偽陽性がたくさん出てしまうことになるため、検査はむやみにおこなうべきでなく、感染している可能性の高い人だけにおこなわなければならないという主張をした。
この主張がかなりの医師に受け入れられてしまったのは、ある意味自然なことだったのかもしれない。
なぜなら、彼ら医師たちは、日頃の診察では検査をするかどうかということや、どの種の検査をするかを決める際、患者に問診をおこない症状や生活環境を聞き出し、ある程度なんの病気なのかあてを付けてから「医師が必要とする検査」をおこなっているからである。
このようにもっともに聞こえる主張だが、世界のどこでをみてもそういう理由で検査を絞っているというところはほとんどなかったと思われる。
それどころか、多くの国ではとにかく検査規模を拡大する努力がおこなわれていた。
実は PCR 検査の原理を調べてみると、先に紹介したような計算をするのはおかしいということが分かる。
PCR 法はポリメラーゼ連鎖反応(polymerase chain reaction)と呼ばれる化学反応を利用して、ある意味ウイルスそのものを検出する技術である。
生物の細胞の中で DNA が複製されるときと同じようにして、ポリメラーゼと呼ばれる酵素を使って、RNA ウイルスから逆転写して得られた DNA の複製を繰り返し、検出できるように増やしていく方法である。
RNA にせよ DNA にせよそれぞれの種類によって固有の塩基の並びを持っているため、その塩基の並びにあった試薬にしか反応しない。
この反応は、ウイルスがなければおこらないし、ウイルスがあればおこる。
つまり、検査のために被験者からとった検体のなかにウイルスが含まれていなければ必ず陰性と判定されるし、含まれていれば必ず陽性と判定される。
だから、このような特徴を持つ検査に対して、先に見せたような確率を用いた計算をすること自体に意味がないと言える。
あえて確率を使い先の問題のような計算をするとしても、PCR 法という技術では「感染している人がその検査を受けると 100 % の確率でちゃんと陽性となり、感染していない人がその検査を受けると 100 %の確率でちゃんと陰性となる」と考えて計算するべきである。
だから検査の精度を落としてしまう原因は PCR 法という技術のなかにあるのではない。
では誤判定が起きる原因はどこにあるのか。
感染していない人から採取した検体のなかにはウイルスが含まれていないが、検査で検体を処理していく際に何かの不手際でほかのところからウイルスが混入してしまえば結果は陽性となる。(いわゆる偽陽性である。)
また、本当は感染していたとしても、検体採取が上手くいかず採取した検体のなかにウイルスが含まれていなかったら結果は陰性となる。(いわゆる偽陰性ということになる。)
結局、検査の精度を下げる原因は PCR 法という技術のなかにあるのではなく、検査に関わる人にあるということになる。
そしてこれは、運用の仕方次第でいくらでも改善できるわけである。
ところが私たちの国では、 PCR 検査は高度な技術をもった熟練した専門家でなければできないため検査の拡大は困難というような主張をする人まであらわれた。
一方検査を積極的に拡大している国ではボタン一発の全自動検査機器も数多く使われていて人為的なミスは避けられるようになっていた。
そのような国ではそういう言い訳がされる余地はなかっただろう。
それでは、PCR 検査の実績はどうだったか見てみよう。
2020 年 4 月に武漢での感染を封じ込めた中国ではその後も国内での感染をほとんどゼロに押さえ続けることに成功していたが、10 月になると青島で国外からの感染者を治療した青島の病院で無症状感染者が 3 名見つかる。 CNN によると、これをきっかけに、圧倒的な規模の検査体制を構築していた中国は 青島市の公衆衛生委員会は 10 月 17 日までの 4 日間で住民ら 994 万 7304 人を対象にした検査を終了した という。
以下、この CNN の記事から引用をしておこう。
市内で12人の陽性反応が出るクラスター(感染者集団)の発生を受け、さらなる感染拡大を防ぐための措置とした。
同委によると、検査の結果は15日時点で764万6353人分が判明し、新規感染者は見つからなかったとした。
もし、わたしたちの国の専門家がおこなった先のような計算ができるなら、感染者が僅かにしかいない地域でこのような幅広い大量検査をすれば判明した 764 万 6353人分の結果の中から「感染していないのに陽性と判定される人」が大量に出るはずである。
しかし、そのような事は全く起こらなかった。
つまり、「感染していない人がちゃんと陰性と判定される確率」は 私たちの国で専門家が言っていたような 99.9 % どころではなく、99.9 のあとさらに何桁も 9 が続くのであり、限りなく 100 %と考えて良いのである。
私たちの国は検査について完全にガラパゴス化してしまっていた。
不思議なことに、私たちの国の専門家や医師の多くが、検査をすればするほど大変なことになると本気で考えていた。
多くの医師を含む専門家と称する人たちが意味のない計算を信じ、テレビを始めとするマスメディアで専門家だけではなくコメンテータまでも PCR 検査は限られた場合にしかおこなってはいけないという主張をおこない続けていたのである。
厚生労働省も検査の抑制を方針としていたことが明らかになる。
次は東京新聞の記事 「PCRが受けられない」訴えの裏で… 厚労省は抑制に奔走していた からの引用である。(ここでは 99.9 % どころか 99 % というさらに悪意を感じる数値が使われている。 )
「PCR検査は誤判定がある。検査しすぎれば陰性なのに入院する人が増え、医療崩壊の危険がある」―。新型コロナウイルスの感染が拡大していた5月、厚生労働省はPCR検査拡大に否定的な内部資料を作成し、政府中枢に説明していたことが、民間団体の調査で判明した。国民が検査拡大を求め、政権が「件数を増やす」と繰り返していた時期、当の厚労省は検査抑制に奔走していた。
厚労省の資料は「不安解消のために、希望者に広く検査を受けられるようにすべきとの主張について」と題した3ページの文書。
文書では「PCR検査で正確に判定できるのは陽性者が70%、陰性者は99%で、誤判定が出やすい」と説明。仮に人口100万人の都市で1000人の感染者がいるとして、全員に検査した場合、感染者1000人のうち300人は「陰性」と誤判定され、そのまま日常生活を送ることになる。一方、実際は陰性の99万9000人のうち1%の9990人は「陽性」と誤判定され、医療機関に殺到するため「医療崩壊の危険がある」とする。
PCR検査を巡っては、「発熱が続いても検査が受けられない」という訴えが全国で相次いでいたが、厚労省は官邸や有力国会議員に内部文書を示し、検査を抑え込もうとしていた。
このように、一般の人は簡単に検査が受けられないことが続いていたが、それを背景にして 2020 年冬になると民間業者による格安検査が登場した。
そして、これを野良検査と呼んで批判する人たちもあらわれる。
彼らは「精度が保証されていない。」とか「検査をおこなうだけで、陽性判定された場合に医療機関での受診へつなげていく仕組みがない。」とか「行政機関への報告がおこなわれない。」などと主張した。
これらのことを民間業者の不備であるかのように言っているが筋違いである。
本来ならこれらは行政がおこなわなければならないことである。
ただ、2020 年 の終わりから 2021 年のはじめにかけて第三波と呼ばれたこれまでにない規模の感染爆発が起こったあたりから風向きはわずかながら変わっていく。
これまで検査体制の拡大に全く本気で取り組まなかった与党自民党の本部では 2021 年 1 月末に全職員に対して PCR 検査を実施する事を決定した。
自民党も検査には感染拡大予防効果があるということを認めたことになる。
そして、検査を抑制的におこなう事を主張していた人達の中にも 2021 年 2 月 3 月あたりからに徐々に方向転換する人達があらわれてくる。
検査をもっとしなければ、もうどうにもならないと考えるようになってきたのである。
2020 年 10 月 14 日に「無症状者にPCR検査しても感染は抑えられない」 と述べたていた分科会会長の尾身茂氏 でさえ 2021 年 2 月 4 日に(おそらくPCR 検査ではなくそれより精度が劣る抗原検査のことだと思われるが)「感染のリスクの高いところを中心に、無症状者に焦点を合わせた検査をやることによってリバウンド(再拡大)を防ぐ」ことが重要であると衆院予算委員会で発言するようになっていた。
それまで検査に対して反対していた数々の医師、専門家、政治家、コメンテーターなどが「必要な」という言葉をつけて「検査を拡充するべきだ」というような発言をするようになってきただけはなく、「始めから検査を拡充すべきだと言っていた」というような手のひらを返す発言すら聞かれるようになってきたのである。
しかし彼らの主張でさえ政策にはほとんど反映されなかった。
政府は 2021 年 7 月に開催予定のオリンピックの関係者に対しては頻繁な検査を実施しようとしているが、2021 年6月時点でも、一般市民はごく一部の検査に積極的な自治体を除き相変わらず簡単に検査が受けられないままでいる。
このようにして私たちの国では検査について一年以上の時間を無駄にし、今後もこの状態は続く。
20 世紀初頭に発生したスペイン風邪のときには PCR 法という技術はなかった。
当時の科学では、ウイルスが病気の原因であることさえ分からなかった。
感染の拡大を押さえるには、手洗い、うがい、マスクの着用、外出を控える、集会の制限のような方法しかなかった。
しかし、現代に生きている私たちは、PCR 法という科学の成果を手にしている。
それにもかかわらず、私たちの国では、そのような科学の成果を感染抑制の武器として積極的に使おうとは決してしなかった。
そして、これからも使う気はないのである。
検査をすれば助かる命があった。
検査の抑制は受診、検査控えを強いることになるため自宅でじっと待機をしていて医療へのアクセスが遅れた患者が体調の急変により死亡してしまうということを引き起こした。
それだけでなく、感染拡大を野放しにする効果を発揮し感染者の急増による医療機関のキャパシティーオーバーをもたらし、その結果医療へのアクセスが絶たれ自宅放置の状態におかれた患者が死亡するという事態を多く発生させることになった。
結局、治療、防疫のどちらの面から見ても「最悪の手」を選んでしまったのである。